第2回公演 〜酒・女・ワルツ〜
スタッフ 第1部:オリジナル・ガラ・オペレッタ「ウィーン、我が夢の街」 原案 第2部:知られざる名曲サロン 〜酒・女・ワルツ〜 制作・演出・脚本
上演によせて 旗揚げ公演の"こうもり"からおよそ10ヶ月。旗を揚げても、すぐ降ろしてしまうアマチュア劇団が多いなか、どうにか皆さんとまたお会いすることができました。 勢いと、冗談と、生活の息抜きにという思いで始まったガレリア座も、いつの間にか勢いが止まらず、冗談が本気になり、息抜きと思ったら生活のド真ん中になってたりして、ついに公演もこれで2回目。日々の規則正しい真面目な生活を犠牲にした嵐の狂演"こうもり"で、もうすっかり懲りたはずなのに、練習場に顔を出せばいつもの連中がゴロゴロしてるし、周りも周りで、"このあいだの公演、おもしろかったね。オペラって楽しいものなんだね"なーんて涙が出るくらい嬉しいことを言ってくれちゃうもんだから、もー後には退けない、前進あるのみ。 何をやろうか、頭をひねるまでもなく、ガレリア座といえばオペレッタ。男と女の小粋な世界。どこが小粋だ、といわんばかりのがさつな連中が、何とかその世界を作ろうとするものだから、もー大変。練習の成果がたちまち日常生活に及んで、言動すべてにポルタメントがかかるやら、ビブラートがかかるやら。"愛しているよ。愛しているわ。"は挨拶がわり。酒も女(男)も芸の糧。知性理性は忘却の彼方。残るは心蕩かす甘美なメロディ。これじゃ周囲も呆れ顔。そんな非社会人たちの遊びの成果を、今宵はぜひ一緒に理性をかなぐり捨てて楽しんでいっていただきたいと思います。 さて今宵みなさんには、アトリエ公演ということで、一本まるまるオペラ上演の本公演とは違う趣向をご覧いただきます。 その一つがプログラム前半のガラ・オペレッタ。いろいろなオペレッタから名曲を集めてきてオリジナルのオペレッタを作ってしまうのは、ガレリア座旗揚げ前の"オペレッタ・プロジェクト�U"で上演した"白馬亭'93"のように、いわばガレリア座のお家芸。今回はそのドラマ性を高めるべく、プロデュースには新進の演出家、北 教之があたります。ウィーン・オペレッタとは一味違う、内面的で、ときに詩的なその世界は新しいオペレッタの境地を開拓するかもしれません。 もう一つの試みは、プログラム後半のガラ・コンサート"知られざる名曲サロン"。日本唯一の座付オーケストラ、ガレリア座管弦楽団に焦点を当て、さまざまな可能性を追及します。とかくオーケストラというと、交響曲、とりわけ日本ではブルックナーやマーラーなど、大規模で精神的な内容の作品が、聴衆にも演奏者にも好まれますが、これら非声楽作品にあっても"歌"は絶対不可欠な要素であり、それに伴う"呼吸"の重要さを忘れてはなりません。 ブルックナーやマーラーがオペラこそ作曲していなくても、"歌"とどれだけ密接な作曲家であるかを殊更無視して自分の世界を突っ走って行こうとする、聴衆を含む日本のオーケストラ・シーンの愚かさは今や頂点に達し、オペラ・ハウスを中心とするヨーロッパの音楽シーンからの乖離は甚だしいものがあります。オペラ・オーケストラは歌手とともに"歌"を歌い、"呼吸"をする最も音楽的なオーケストラです。ウィーン・フィルは言うにおよばず、ミラノ・スカラ座やメトロポリタンのオーケストラが、今や単体のオーケストラとしても完璧な演奏を聴かせるのも、彼らが歌い、呼吸することに長けているからなのです。 日本初のオペラ・オーケストラ"ガレリア座管弦楽団"は、素人集団ながら、そうなる可能性を秘めたオーケストラです。今回は演出上も重要な役どころを担っていますが、それ以上に音楽的な"歌"の魅力をお楽しみ下さい。 本日はご来場まことにありがとうございます。 ・・・・・ガレリア座主宰 八木原 良貴
第一部 オリジナル・ガラ・オペレッタ
キャスト オットー(ウィーンの物売り)
あらすじ
幕前劇〜第1幕 「ガレリア座」の歌姫・ミミは、貴族の息子・エーリッヒをパトロンに得て、恋人の廉太郎と喧嘩別れをしたばかり。けれどまだ、廉太郎への未練が捨てきれないミミ。ステージをさぼろうとしたり、廉太郎の悪口を聞きたがったり、どうも情緒不安定である。 廉太郎とて同様。エーリッヒとミミのいちゃつく姿を見ながら、手も文句も出せない有り様。そんな二人の間に転がり込んでくる不思議な少年・トリステス。どうやら廉太郎と何か特別な関係にあるようだが……。
第2幕 ガレリア座のピアノ弾き・フランツと、店の看板娘・リーザは恋人同士だ。今日もオーディションに落第したフランツ。けれど、二人は前向きで明るい。 それに引き替え、ミミと廉太郎はお互い混乱している。二人の夢のためには、ここで別れた方がいい、そう頭で納得させていても、以前の楽しかった日々に思いを馳せたりする。 そんなところに飛び込んできた街の人々から、結婚間近の王女・シルヴィアの婚約者であるエトヴァーン王子がウィーンに来ているというニュースがもたらされる。人々の間に混じって現れた眼鏡をかけた奇妙な男は、トリステスと何やら意味ありげな会話を交わす……。
第3幕 ガレリア座の女将さん・ハンナは、酸いも甘いも心得た苦労人。トリステスの正体にも、秘められた廉太郎への思いにも薄々気がついている。そんなハンナとトリステスの会話を立ち聞きしたミミは、廉太郎とトリステスとの仲を誤解して店をやめると言い出す。 そこへやってきたエーリッヒと、その父親グスタフが混乱に拍車をかける。廉太郎を日本に送り返すというのだ。もう二度と廉太郎に会えなくなる、そう思った途端、ミミの理性は吹っ飛んでしまう。倒れこむミミを支える廉太郎。その2人を引き裂こうとするエーリッヒとグスタフ。 店中の喧騒をぬって「お待ちなさい!」と厳しい一声がとぶ。と、そこには、華やかなドレスに身を包んだトリステスと、あの謎の眼鏡の男が立っている。じつは、この2人こそシルヴィア王女とエトヴァーン王子。親に押し付けられた結婚に反発するシルヴィア王女は、王宮を飛び出し、長い髪を切って少年に扮し、トリステスと名乗っていたのだった。 一方、グスタフとハンナは、その昔、恋仲だったことも判明。グスタフは、本当に愛する人と共に暮らす幸せを思い起こし、廉太郎とミミをそっとしておいてやろうと思い直す。エーリッヒは、急な父親の心変わりに不満ながらも、しぶしぶ身をひく。 シルヴィア王女は、廉太郎への淡い恋心もあったが、エトヴァーン王子の深い愛情に触れ、王子との結婚を決意する。「押し付けられたものじゃなくて、わたし自身が選んだことを大切にしたい」と微笑むシルヴィア王女。そんな王女の姿をみて意地の張り合いをやめる廉太郎とミミ。「現実に向き合い、一人前になってミミを迎えたい」と、これからの希望を語る廉太郎に、ミミもうなずき、2人はしっかりと寄り添いあう。ホイリゲに集う人々も、そんな2人を心から祝福し、明日への希望を歌って幕となる。
脚本家より一言 僕の頭の中には一人の少年が住んでいる。 「それでいいの? 本当にいいの?」 それが彼の口癖で、僕はいつも彼の言葉に悩まされる。毎日忙しく流れていく時間。 無意識に何度となく目をやる腕時計の文字盤の片隅で、彼の目が僕を見つめている。上司に言い訳している僕の声を、頬杖ついてにやにや聴いている彼の姿が、オフィスの窓に映っているのが見える。 「それでいいの? 本当にいいの?」 振り返ってみると僕の後ろには29年間の過去の時間が積みあがっていた。古新聞の山のような黴臭い過去の蓄積の隙間隙間を覗いてみると、ときどき胸がキュンとなるような切ない夢が潜んでいたりする。僕の頭の中の少年は、そんな夢のスクラップブックを腕に抱えて小さく微笑みながら僕の方を眺めている。 「あの頃の君のこと、好きだったのに。」 はじめに皆川さんから原案をもらった時、僕の中の少年がささやいた。書いてよ。僕のことを書いて。夢のこと。現実のこと。そして、選択ということ。後悔するかもしれない。けれど、選ぶしかない。そんな風にいくつも通り過ぎてきた分かれ道の向こうに、全然別の自分がいたかもしれない。そんな自分のことを想像することを後悔というのなら、誰だって後悔から逃れられやしないんだよ。 大島弓子の描いたトリステスと、僕の中の少年が自然に重なり合って、この脚本は出来上がった。役者のみんなが一生懸命それを自分の中に溶け込ませた。杉浦さんがすばらしい音楽と、歌詞をつけてくれた。振付の高瀬さんがみんなの動きに生命を吹き込み、ピアニストの3人が歌を支え、そして、今日のこの音楽劇が完成した。 この劇を、みなさんの中に住んでいる、永遠の少年・少女に捧げます。 後悔していないっていったら嘘になる。でも、今の自分、そんなに嫌いじゃないよ。
使用曲 第1幕 1.オペレッタ「パガニーニ」より(F.レハール) 第2幕 4.オペレッタ「デュバリー夫人」より(C.ミレッカー) 第3幕 9.ウィーン、我が夢の街(R.ジーツィンスキー)
第二部 知られざる名曲サロン~酒・女・ワルツ~ 曲目・出演者 ポルカ"浮気心"Op.319(J.シュトラウス�U)二重唱"恋は空色" 〜オペレッタ「白馬亭にて」より(R.シュトルツ)
二重唱"ハロー、僕の天使"
二重唱"チョットだけ話を聞いて"
二重唱"一度だけの願い"
アリア"輝く瞳"
二重唱"きれいな奥さん"
二重唱"青い夏の夜に"
七重唱"女、女、女"
アリア"今、愛の海へ"
二重唱"俺たちゃ学部長"
二重唱"フィレンツェの女は"
二重唱"話そうか、やめようか"
四重唱"ニナナ、ニナナ"
フィナーレ"乾杯の歌"
指揮:野町 琢爾
解説 あなたの目の前に美しい女性が、あるいは素敵な男性が立っている。 静かにあなたを見つめる澄んだ瞳。ついと引き込まれそうになるその瞬間、静寂を縫うように流れてくるヴァイオリンの甘美なワルツ。最後の理性の一片が、あなたのもとを離れたとき、唇から愛の言葉が……。シャンパンの泡にも似た、束の間の戯れ。大人だけが知っている愛の駆け引き、危険なゲーム。 ガレリア座の"オペレッタ・プロジェクト"も、旗揚げ前の公演から数えて今回で4回目を迎えます。日本語で「喜歌劇」と訳されてきたオペレッタも、本場ウィーンのフォルクス・オーパーの公演や、日本オペレッタ協会などの活動のおかげで、単に面白いだけの歌芝居という認識が改まり、大人の愛の物語という位置付けに変わってきたように思います。 ただとっても残念なことといえば、ウィーン・フォルクス・オーパーの"こうもり"や、"メリー・ウィドウ"があんまり素敵な舞台だったので、なかなか他の舞台や演目に皆さんの興味が行かないこと。カールマンの"チャールダッシュの女王"が最近メジャーになってきたものの、まだまだオペレッタの世界には、皆さんの知らない宝の山がたくさんあるのです。本日後半のプログラムは、日本唯一のオペラ・オーケストラ、ガレリア座管弦楽団とともに、そんな宝の山の美味しい所だけを選りすぐって、皆さんにお届けしようと思います。 幕開けの序曲は、ワルツ王ヨハン・シュトラウスIIの作曲した速いテンポのポルカ「浮気心」です。シュトラウスは数え切れないほどのワルツやポルカを書いていますが、そのなかの傑作だけを集めてストーリーを作ったオペレッタ"ウィーン気質"のなかで、この曲は、お針子のペピと下僕のヨーゼフという恋人たちの歌う陽気な二重唱'こんにちは、旦那様'として使われています。快活で、はじけるような曲調が少し悪戯っぽく、シャンパンの泡のように浮気心をかきたてます。 オペレッタは、その歴史の最後には、海を渡ったアメリカでミュージカルとして花開くのですが、その最後の作曲家といわれるのが、指揮者としても有名なロベルト・シュトルツ(1880-1975)です。彼の作品はオペレッタから映画音楽まで守備範囲が広く、そのどれもがどこかで聞いたことがあるような馴染みやすいメロディを持っています。 はじめの「恋は空色」は映画音楽調、つぎの「ハロー、僕の天使」はミュージカル調のどちらも都会的感覚に溢れた、とてもお洒落な二重唱です。 オペレッタはその全盛をウィーンで迎えながら、二つの世界大戦の頃からその舞台をベルリンに移します。今回、オペレッタの歴史をさかのぼるようにプログラムを組んだなかで、ベルリン・オペレッタの作曲家として紹介したいのがパウル・リンケとラルフ・ベナツキーです。 パウル・リンケ(1866-1946)の代表作"フラウ・ルーナ(月夫人)"は、ハイドン以来二作目の'月'を題材にした珍しいスペース・ファンタジー。メルヘンティックで可愛らしい歌がいっぱい詰まっています。 もう一人のラルフ・ベナツキー(1884-1957)は、その代表作"白馬亭にて"のなかで多彩な才能を発揮しています。ザルツブルク郊外の避暑地、ヴォルフガング湖畔に今も実在するホテル'白馬亭'を舞台にしたこのオペレッタは、民謡調あり、行進曲あり、洗練された愛の歌もあり……とオペレッタの醍醐味を一度に堪能できるような作品です。 オペレッタの中心がベルリンに移る前、20世紀の黎明とはいえ19世紀の世紀末的な爛熟の空気を色濃く残したウィーンでは、オペレッタは'白銀の時代'を迎えていました。19世紀半ばからの、シュトラウスを中心とするオペレッタの'黄金時代'に比べ、健康的な快活さは失われ、愛の表現はより巧妙に、音楽はより甘美に官能的に響きます。 そして、この時代を代表する作曲家といえば、エメリッヒ・カールマン(1882-1953)とフランツ・レハール(1870-1948)でしょう。 カールマンの音楽は、出身地ハンガリーのジプシー音楽の影響を強く受け、情熱的で激しいチャールダッシュのリズムと、今日の"サーカスの女王"からのアリア「輝く瞳」にも聞かれる憂いを秘めた甘いメロディが魅力です。 一方のレハールもハンガリーの出身なのですが、カールマンに比べるとその土俗的色彩は薄く、表現は洗練されます。音楽は巧緻で、ドラマの密度が高く、またとりあげる題材のユニークな点でも、レハールはオペレッタ界の巨匠と言っていいでしょう。今日は彼の作品を4つ聴いていただきますが、実在の天才ヴァイオリニスト、パガニーニを主人公にしたオペレッタ"パガニーニ"と、アフリカを舞台に、妖艶で情熱的な女の愛を描いた"ジュディッタ"は、ともに日本では無名で、ウィーンでもめったに上演されません。それだけに、この上演がレハールの再評価につながればと願っています。 オペレッタの'黄金時代'。19世紀後半のウィーンでは、ヨハン・シュトラウスという輝かしい太陽の下、人々の心を元気づける、楽しく、おおらかで、明るいオペレッタが一斉に花開きました。 ドイツ民衆に愛された歌芝居'ジング・シュピール'の伝統をオペレッタに活かした、カール・ツェラー(1842-1898)の"小鳥売り"。イタリア的な'歌'の魅力を堪能させてくれるフランツ・フォン・スッペの名作"ボッカチオ"。歴史的でドラマティックな題材を得意としたカール・ミレッカーの佳作"乞食学生"。そのいずれもが音楽的に充実しており、グランド・オペラの二重唱にいささかもひけをとりません。 そしてやはり、このプログラムの最後を飾るのは、オペレッタ界の王様であり神様でもあるヨハン・シュトラウスIIでしょう。イタリアの太陽の明るさをいっぱいにつめこんだオペレッタ"ヴェニスの一夜"と、今日のフィナーレでもある"こうもり"は、人生の歓びを集約させた、オペレッタの神髄とも言うべき最高のオペレッタです。 オペレッタ、それは尽きせぬ歓び。人を愛し、酒を愛し、音楽を愛する者のためのファンタジー。今宵は舞台上の'ならず者たち'と一緒になって、どうかみなさんも一瞬の夢の世界に遊んでみてください。 (プロデューサー 八木原) |